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バイロイト音楽祭デビュー2 [舞台]

ペーター・ホフマンは、バイロイト音楽祭に1976年、パトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮新演出「ニーベルングの指環」は「ワルキューレ」のジークムントと、ヴォルフガング・ワーグナー演出、ホルスト・シュタイン指揮「パルジファル」のパルジファルの二つの役でデビューしました。
ホームページの「探し物リスト」を見て連絡をくださった親切な同好の方のお陰で、1976年の「パルジファル」のNHK-FM放送を聴くことができました。すばらしい演奏で、改めてわくわくしました。

ワーグナー:パルジファル
バイロイト音楽祭1976年7月31日
ホルスト・シュタイン指揮
ヴォルフガング・ワーグナー演出

アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル
グルネマンツ:ハンス・ゾーティン
パルジファル:ペーター・ホフマン
クンドリー:エヴァ・ランドヴァ
クリングゾール:フランツ・マツーラ
ティトゥレル:カール・リッダーブッシュ

聖杯騎士、花の乙女など:
マルティン・エーゲル、ハインツ・ツェドニク
ヘルベルト・シュタインバッハ
ラヘル・ヤカール、イヴォンヌ・ナエフ
ヨーコ・カワハラ、オルトン・ウンケル
これはかつてレーザーディスクで出ていた映像(1981年収録)と同じ演出のものです。

★ラジオ放送より
1幕_1 字幕(原語+日本語訳)付きスライドショー
1幕_2 字幕(原語+日本語訳)付きスライドショー
1幕_3 字幕(原語+日本語訳)付きスライドショー

2幕_1 字幕(原語+日本語訳)付きスライドショー
2幕_2 字幕(原語+日本語訳)付きスライドショー
2幕、アンフォルタス!
2幕フィナーレ 日本語字幕付きスライドショー

バイロイト1976年3幕-1: 字幕(原語+日本語訳)付きスライドショー
バイロイト1976年3幕-2: 字幕(原語+日本語訳)付きスライドショー
バイロイト1976年3幕-2: 字幕(原語+日本語訳)付きスライドショー

3幕フィナーレ

バイロイト音楽祭デビューのパルジファルについて、伝記から:
 パルジファルでバイロイトに登場したときには、ペーター・ホフマンはすでに三つの異なった演出でこの役の経験を積んでいた。1976 年の春、3週間のうちに、ヴッパータール、ハンブルグ、シュツットガルトの劇場のプレミエで、歌ったので、新聞は彼を「ドイツ連邦パルジファル」と呼んだ。シュツットガルトにおけるゲッツ・フリードリヒとの仕事は、忘れられない経験になった。彼の考えでは、この演出では「愚か者」の成長過程、自然児が、知を得て、同情する力を備えた人間に、そして責任を自覚した王へと成長する過程が繊細な動きを通して、ことさらに浮き彫りにされた。シュツットガルトの演出に対する批評を引用しよう。

 「ホフマンはゲッツ・フリードリヒの演出概念を間違いなく満たしており、演出に合わせた動きと高い集中度は、先輩をしのいでいた。(ハンブルクで同時に全く別の演出のパルジファルを演じたホフマンは、フリードリヒとは少ししか練習できなかっただけになおさら驚かされる。このことは彼の役者としての天分を明らかに証明している)彼は目に見える、正真正銘の若々しいパルジファルだ。その衝動的な、それにもかかわらず、コントロールされていないのではない、とっさの動きにも説得力があった。さらに、歌もまた、若さにあふれ、熟練の域に達していた」

 ペーター・ホフマンは、演出家のヴォルフガング・ワーグナーと気が合った。ヴォルフガング・ワーグナーは、練習のときに歌手がもちこむ意見に対して心を開いてよく耳を傾けた。

 「バイロイトでパルジファルを歌わせてもらえるのは、若いテノールにとって夢が実現することだ。ヴォルフガング・ワーグナーの演出で、共に仕事をするのは喜びだった。最高のチーム、最高の仲間たちだった。
 グレネマンツを歌ったハンス・ゾーティンとは、初対面からよく理解し合えた。最初の練習の前の夕方、私たちは一緒にビールを一杯やっていたが、彼がきいた。『もうパルジファル入門、きいたか』『いや、入門って何』と私は聞き返した。彼は『えっ じゃあ、よくきけよ』と言って、翌日、私が耳にし、体験するであろうことを説明してくれた。
 そして、聞いたとおりのことが起こった。ヴォルフガング・ワーグナーは、機嫌よく、チームに私を紹介した。
『みなさんの新しい仲間のホフマンです。パルジファルを歌います。パルジファルをすでに歌ったことがありますか』

 私は内心いったい何なんだと思った。なぜならば、彼は、私がヴッパータールでもハンブルグでもシュツットガルトでも、順ぐりに、パルジファルを歌って、それで『ドイツ連邦パルジファル』と呼ばれていることを間違いなく知っていたからだ。

 そして、それからが、ほとんどハンス・ゾーティンが予言した言葉どおりの入門となった。
『要するに、無知で、ばかな、純粋の、ドイツのばかな愚か者。彼はそこにただ立っていてびっくりしているのだ。ずっとびっくりしているのだ。それから、白鳥、神聖な動物だ。血、驚愕、それから、うしろから合唱団が登場する・・・そして、いよいよはじまりだ』

 ヴォルフガング・ワーグナーは実務家だった。彼のやり方は、多くの前置きはなしで、練習がはじまるだけに、いっそう活気に満ちていた。彼は各場面を共に演じ、体験して、その考えを実行に移したが、私たち自身の創造性も是非とも一緒に取り込もうとした。私にとって彼との仕事はわくわくするような体験だった。殊に、ヴッパータール、ハンブルグ、シュツットガルトで、6週間の間に3種類の様式の異なる興味深い演出でパルジファルのプレミエを経験した後のバイロイトこそは、まさにクライマックスだった」

バイロイト音楽祭「パルジファル」のラジオ放送と出演
1976年 ホフマン
1977年 コロ
1978年 ホフマン☆3幕フィナーレ
1979年 イェルザレム
1980年 イェルザレム
1981年 ユング
1981年 イェルザレム(ビデオ収録)

1982年 ホフマン
1983年 ホフマン
1984年 ホフマン
1985年 ホフマン(正規録音PHILIPS)
1987年 イェルザレム
1988年 イェルザレム 出演

バイロイト音楽祭


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1979年 パルジファル [舞台]

YTに字幕付きで聖金曜日の音楽(最初の方の写真はバイロイト音楽祭1982年の舞台写真)
フィナーレ
3幕 Heil dir, mein Gast!(挿入した舞台写真はバイロイト音楽祭1982年)
1幕
パルジファル登場〜
2幕
はじめから〜花の乙女登場前まで
2幕花の乙女登場〜幕
(挿入した舞台写真はバイロイト音楽祭1982年、1983年とコヴェントガーデン1980年?)

パルジファル ロンドン、コヴェントガーデン
指揮:モーリツ・シレム
演出:テリー・ハンズ

パルジファル:ペーター・ホフマン
アンフォルタス:ノーマン・ベーリー
クンドリー:イヴォンヌ・ミントン
グルネマンツ:クルト・モル
クリングゾール:
ティトゥレル:グウェン・ハウエル

1979年4月20日の公演をご覧になった方の鑑賞記をネットで読みました。
コヴェントガーデンの思い出( ・第095話 ROHはミントン/モル/ホフマンの『パルシファル』の巻)によります。このシーズンは5回の公演があり、指揮者はゲオルグ・ショルティで、23日だけこの指揮者の予定でした。しかし、この方が行った20日はショルティ急病により、この指揮者に急遽変更になったのだということです。スイスのベルン生まれの指揮者だそうです。
題名役の印象は、残念ながら、悪かったということです。クンドリーとグルネマンツの声は出色で、理想的だったのに対して、視覚的にも気にいらなかったようです。『聖なる愚者』といいうよりは、マッチョな青年の雰囲気だったと書いています。その上、発声が耳障りだったと。

クリングゾール役が抜けています。
par80cov.jpg 1980年との記載がある写真。79年のこの上演と同じ演出でしょうか。

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目次 [目次]

pf-5.jpg

1944.8.22〜2010.11.29 享年66歳


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ユーチューブより [あれこれ]

オペラ座の怪人1990/91@ハンブルグ
フィナーレ:地下室New!
説明に”Peter Hoffmanns letzter Auftritt in der letzten Szene mit der atemberaubenden Darstellung von Andrew Llyod Webbers Phanton der Oper.”とあります。

オペラ座の怪人再生リストをつくりました。ここをクリックしてください

ハイライト(1)
ハイライト(2)
ハイライト(3)
ハイライト(4)
ハイライト(5)

コメントから見にいって、関連動画で目に留まったもの
★オーディオ装置のためのスカボロフェアNew!
http://www.youtube.com/watch?v=25LQgTLLCE4

☆キリ・テ・カナワのためのロンバール指揮「魔笛」New!
http://www.youtube.com/watch?v=wDbHVXbLYc0
http://www.youtube.com/watch?v=8vN0H9HGmeo

コメントに紹介していただいたもの(詳細はコメント)
http://www.youtube.com/watch?v=LGVs41y5QgENew! (1984年テレビ ペーター・ホフマンショウ抜粋)

http://www.youtube.com/watch?v=O6_DAV6yyDU (デボラ・サッソンと結婚直後のTV出演 P.アレクサンダーの番組)←ユーザーにより削除
http://www.youtube.com/watch?v=RvPPB3NE3jkNew!(↑の続き)
http://www.youtube.com/watch?v=RB-htyHatKQ New!(TV出演 P.アレクサダー氏の番組↑とは別の日でしょう)

ワイルド&ロンリー・ハート(関連記事:ワイルド&ロンリー・ハート
アンナ・マリア・カウフマンのTV出演(関連記事:アンナ・マリア・カウフマン

ジョイブリンガー(関連記事:モニュメンツ
煙が目にしみる(関連記事:最初のツアー


フェアリーテイル(関連記事:2番目のアルバム
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神の御子は今宵しも(関連記事:クリスマスCD
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東ドイツでのツアー [コンサート]

東ドイツのツアーのうち、東ベルリンでのコンサートのカセットテープをいただきました。

Rocktour 1987 Live in Ostberlin
You're my soul and heart
Young Girl
Love hurts
Music
The air that I breathe ←HPでどうぞ〜メジロ、カモ、もぐるオオバン、ヒヨドリ、さえずるガビチョウ〜
We've got tonight
Summertime Blues
Blue moon
In the jungle the lion ...
Na, Na, Na, & Peter presents the band
you've lost that lovin' feeling
My little Runaway
You don't bring me flowers
you've a lady, I'm a man

Elvis Presley medley
Blue swede shoes
Don't be cruel
All schock up
Are you lonesome tonight
Surrender
Falling in love with you
Marie(his latest flame)
Jailhouse Rock

Dust in the wind
A salty dog
Mandy
Smoke gets in your eyes
Somewhere

カセットA面
カセットB面

1987年秋には50回を超えるコンサートから成る三度目のロック・ツアーを行いました。東ドイツの東ベルリン、ドレスデン、それから、かつてのケムニッツ、そして現在はまた再びケムニッツに戻った、当時のカール・マルクス・シュタットで、6回の公演。ちなみにベルリンの壁の崩壊は1989年です。

(画像はベルリンの壁崩壊のスノードーム)
東西ドイツの現実の象徴でもあったベルリンの壁について、伝記の中に、ベルリンの壁をその目で見たときの気持ちが書かれています。
「はじめてベルリンに行ったとき、ドイツではだれでも知っていることだが、だれもがもう何回もテレビの画面で目にし、だれでも知っている壁が市を分断しているということ、このことが、そこでまさに進行中だった。しかし、はじめてその前に立ったときは、衝撃的だった。小さな博物館が建てられていて、その中には、可能な限りの脱走方法が展示してある。深い悲しみが私の中にわき起こった。本当の意味で関わりを持つことができるだろうとは思いもしないところだったが、あの場所に立ったときから、私はそれを実感した」

東ドイツでのポピュラーコンサートが許可されたのは、西ドイツの歌手としては3人目だったとのことです。その手続きは非常に細かいことまで申請しなければならなかったとか。思想統制下の国というものはとにかく大変です。演奏予定の歌全ての完全な歌詞を提出しなければならなりませんでした。

 「東ドイツでのポピュラー・コンサートは、西ドイツの芸術家としては、そのときまでは、ペーター・マッファイとウード・リンデンベルクしか許可されたことはなかった。まさに微に入り細に入り、一から十まで、事こまかな計画がたてられた。まず東ベルリンの東ドイツ芸術家エージェントが作成した申請書を用意しなくてはならなかった。その際、完全な歌詞を添えて、演奏予定の歌をいちいち全部提出しなくてはならなかった。
 
報酬は3分の2は東ドイツ・マルクで、3 分の1は西ドイツ・マルクで支払われるのだが、いったい東の金をどうしろというのだろう。アメリカ人のバンドと関係者にそんなことは言えなかった。どこにもそんな金を使えるところはないのだから、西の金で支払うしかない。

私たちはすばらしい妥協案を見つけた。私たちは、14日間、ズールで無料で自由に使える練習用のホールとホテルの部屋を提供されていた。そこで、私たちは無料の練習コンサートを追加した。この14日間は注目に値するものになった。東ドイツの組織力と世話焼き振りは二度と体験できないほど比類のないものだった。理由は簡単だ。ここには金はなかったが、雇われるべき人間は十分すぎるほどいるのだった。技術者、例えば、電気技師が一人必要になった時には、すぐにいつでも使える人が5人も待機していたし、椅子が数脚欲しかった時には、すぐに会社をあげて手伝いにきてくれた。ホールは昼夜を問わず保安部隊によって監視されていて、保安部隊がそこにいることが可能な限り、どんな希望も彼らの目に留まるのだった。要するに、『西側の人間』に良い印象を与えたいわけだ。

ただし、東ドイツの基準から逸脱することを決定せざるをえない場合は、厄介なことになった。そうなると階級制度の序列に従って、次々と上の人にお伺いを立てることになる。
 ある日、長い練習の日々が続いたあと、ホテルの中にあるディスコに行こうとしたとき、入口にネクタイ、スーツ姿で立っていたドア係りが私たちの入場を拒否した。ジーンズにスニーカー、おまけにネクタイもしていない私たちは、全くとんでもないことだというわけで、中へ入ることを許されなかった。延々と、無益な議論をしたあげく、結局私たちはほかの服の持ち合わせがないのだから仕方がないということで、最終的には、ホテルの女性支配人が姿を現して、入場を許可するように配慮してくれた。

この瞬間から、ドア係りまでがまるで人が変わったようで、意見の相違など何もなかったみたいに、私たちに対して好意的で丁寧な態度をとった。中では、もとは白かったのだろうが、変色して黄ばんだ背広を着たバンドが行儀のよい娯楽音楽を演奏していた。私たちは彼らに、一曲演奏したいので、楽器を貸してほしいと頼んだ。『一曲ですか。アメリカ人に楽器を貸すのですか』と、まずは不信感丸出しだったが、しだいにそれは消えて、何が演奏されるのか興味津々になった。まさに思うつぼだった。ドラマーだけは、高価なバチが折れたときには、相当なショックを受けたが、私たちのドラマーのジェフはいつも荷物を全部持ち歩いていたので、速攻で気前良く変わりの品を調達できた。私たちはディスコに人々を招待して、東の金を気楽につかってしまった。それ以外にその金でするべきことはなかった。もちろんバンドのメンバーのために楽器をいくつか買ったが、それもまた私たちのためではなかった。マイセンの陶磁器も、ヨットやトラバントの車も欲しくなかった。むしろトラクターのほうが頭に浮かんだ。それなら、ひょっとしたら、オーバープファルツの近所の農家のお土産にしたら、喜んでくれるかもしれないと思ったのだが、巨大な怪物のようなものを提供してもらうのは、私たちの意に完全に反していた。

 東ベルリンのフリードリヒ宮殿で開催された最初のコンサートはとても奇妙な雰囲気だった。最前列には、無感動で厳格な体制派の党員が無表情で座っていた。その後ろで熱狂した観客が拍手喝采していた。私は舞台から歯に衣を着せず、『本当にいったい何を怒っていらっしゃるのですか。私が何か間違ったことをしましたか』と前の席の人々に向って大声で言った。やはり反応はなかった。彼らは自由で気楽な雰囲気はとにかく好きじゃなかったのだ。

ドレスデンでもやはり同じようだった。ドレスデンは『外が見えない谷』と呼ばれていた。というのは、ドレスデンでは、ものすごく高いアンテナを建てなければ西側のテレビを受信することができなかったからだ。私たちのコンサートの直前に、ヘルムート・コールとエーリッヒ・ホーネッカーの会談が行われた。そこで、あいさつの後、いい機会だと思ったので、『私たちの首相であるヘルムートとエーリッヒの直接会談があったわけですが、これによってそのうちに何らかの良い結果がもたらされることを希望しています。ここ、『外が見えない谷』で、私が皆さんに望むことは、いつかここにも光が差し込むこと、そして、もうひとつ、巨大なアンテナが建設されることです』と言った。メッセージは観客に届いた。突然想像できないほどの歓声がわき起こったが、前の方の数列に陣取った人々だけは、あいかわらず妙な具合に顔をしかめ、口をへの字に結んでいた。コンサートの終わりには、いつもバーンスタイン作曲の『サムウェア』を歌ったが、この日の公演ではいつもとは違う意味があった。この『私たちの場所がある。どこかに私たちのための場所がある』という歌詞は、状況にぴったりだった。私はほとんど自分自身に向かって心を込めて歌った。この公演は、感情が爆発し、ものすごく気分が高揚した。

 一日後、かつての『カール・マルクス・シュタット』で、私は『こんにちは。ケムニッツの皆さん』と観客にあいさつした。この時はほんとにすごかった。最前列を氷のように冷たい沈黙が支配したが、その後ろの盛り上がりかたはまさに爆発的で、この雰囲気はどのコンサートでも変わらなかった。東ドイツの人々にとって、このようなコンサートは珍しかったので、あきらかに楽しんでくれているのがはっきりとわかった。このツアーには、ギュンター・エマーリッヒの番組『ショーコラーデ』をはじめ、様々なテレビ出演が加わった。

 このマンモス・ツアーでは、『従来の』ドイツ連邦州はもちろん、そのほかに、オーストリア、スイス、ルクセンブルグもまわった。私たちはいたるところで熱狂的な観客に出会った。とにかく楽しかった。

 チケットは完売、すばらしい観客と山のようなファンレターと共に、私におおきな喜びをたくさんもたらしてくれた三ヶ月にわたるポップス・ツアーのあと、私はうれしい気持ちで再びオペラの仕事に戻った。

それは1988年の春、ボンの『マイスタージンガー』で始まった。そのあと、ニューヨークで『ジークフリート』を初めて歌う予定だったが、ひどい気管支炎のため、残念ながらキャンセルせざるをえなかった。このことは当然マスコミのかっこうのえじきになった。そこには、様々な言い方だったが、要するに『今度こそ、くだらないロックなどを歌ったせいで、声が完全にだめになってしまったのだ』と、書かれていた。それならば『マイスタージンガー』も歌えなかったはずだということは、議論にならなかった。今度もまた、記事ネタを手に入れたということが肝心だったわけだ。」


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パリの演奏会1979年 [コンサート]

1979.4.28 ORTF Jeannine Altmeyer & Peter Hofmann
Weber:Der Freischutz
Wagner:Tannhauser/Lohengrin/Die Walkure
Conductor: Marek Janowski

HPで一部紹介しているマリア女史の著書に1979年4月28日のパリでのORTFの演奏会でのマックス@「魔弾の射手」を聴いたことが書かれています。彼女からのカセットにこれがありました。マレク・ヤノフスキ指揮、ジャニーヌ・アルトマイヤーとのコンサートで、演奏曲目は「魔弾の射手」「タンホイザー」「ローエングリン」「ワルキューレ」からの抜粋。そして、びっくり仰天。日本語の解説の断片が聞こえます。おそらくこれはNHKの放送を録音したものです。日時は不明ですが、おそらくNHKのFM放送と考えられます。彼女がどのようにこれを入手したのかは不明ですが、音源が日本だったとは驚きです。

「 ホフマンは魔弾の射手(ウェーバー)のマックスを、そのキャリアの前半に、頻繁に歌ったが、今もなおこの役は彼のレパートリーに含まれている。あの事故のあとの1978年、この役でコヴェントガーデンに復帰したとき、アラン・ブリスはこう書いた。彼は本物のヘルデン・テノールの音質を披露した・・・  文句のつけようのない賞賛に値するのは、彼の旋律線を浮き立たせるすばらしい感性だ。 
 マックスのDurch die Waelder(森を抜けて)の流麗な旋律の進行におけるベル・カント的心地よさは1979年4月28日のパリでのORTFの演奏会のアリアで聴くことができる。ホフマンは装飾音を柔軟に心地よく処理すると同時に英雄的な高らかな響きを加えている。Lebt ein Gott?(神はいるのか)をカバレッタで仕上げるとき、このフレーズは神の沈黙に対して怒りの拳を振るうような激しさを示す。このアリアはホフマンの描くマックス像の特徴である失望と落胆の落ち着かないマックスの気分をとらえている。そこにいるのは、若くて、情熱的な猟師だ。抑え難い激しい愛に駆り立てられて、衝動的な行動をとる若い猟師。彼にとって射撃競技の出来事は全てが悪夢だ。最終的にアガーテへの誠実な深い愛情によって救われる若い猟師。ホフマンは国民的人物像を、生き生きと目の当たりに見せる。
 絵画のように見えることを要求された、アヒム・フレイヤー によるシュツットガルトの公演の静的な演出によってさえ、抑えられるないほど、まるで電気を帯びているかのように生き生きとぞくぞくさせられる。ホフマンのマックスは説得力がある。揺れ動く気持ちと憂うつな気分に支配されているのを納得させられる。そして、そういう暗さにもかかわらず、ロマンチックな情熱を備えた、観客の同情を呼ぶ魅力的な人物にすることに成功している。 
            〜Carla Maria Verdino-Suellwold "WE NEED A HERO"1989」

伝記から
「 「もう絶対、何かアリアを歌いたい」と先生に迫ったとき、次の週末までに、魔弾の射手のマックスのアリアを練習してくることを、やっとのことで、許してもらえた。それを先生の前で歌ってきかせたとき、先生はなんとも言えない目をして、ピアノのふたをぱたんと閉めてしまった。私は、恐ろしいことになったと思った。 私は、声だけでなく表現も、完全に間違っていた。もちろんこのアリアは時期尚早だった。それは難しい種類のアリアというのではなく、生命を吹き込むように歌うことが難しいのだと、先生は教えてくれた。・・・魔弾の射手のマックスのアリアは、例えば、職人的な人々が、歌って、大成功できる。ただ、なんとなく良くないという感じが残る。・・」

森を抜けて

max79.mp3

コンサートDL

マックスのアリア、♪森を抜け野を越えて・・♪と歌うことぐらいしか知らず、どんな内容か特に注意したことがありませんでした。そこで、今回いつものように字幕を付けてみました。なんだか人生についていろいろ考えさせられてしまう、けっこう奥の深〜い歌詞でした・・・→コンサートインパリ(字幕付きマックスのアリアのスライドショー) ←DL苦手の方も左記でどうぞ。

序曲とアリア

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ベルリン・ドイツ・オペラ2 ワルキューレ [舞台]

1984年にはじまったゲッツ・フリードリヒ演出の、ワーグナー作曲四部作オペラ「ニーベルングの指環」すなわち略して「リング」、ベルリン・ドイツ・オペラは、「トンネル・リング」と称されたそうです。1987年には来日公演があって、ご覧になった方も少なくないでしょう。私は残念ながらオペラに興味を持つ前だったし、もし興味があっても、たぶん行かなかった、あるいは、行けなかったと思います。
このワルキューレ、映像はメイキングだけですけど、音声部分は全曲聴くことができました。

ワーグナー:ワルキューレ
ベルリン・ドイツ・オペラ1984年10月6日
ゲッツ・フリードリヒ演出
ヘスス・ロベス・コボス指揮

ジークムント:ペーター・ホフマン
ジークリンデ:ユリア・ヴァラディ
フンディング:マッティ・サルミネン
ヴォータン:サイモン・エステス
ブリュンヒルデ:カタリーナ・リゲンツァ
フリッカ:ダイアン・カリー
ワルキューレたち:シェリル・ステューダ、ルーシー・ピーコック、ヨーコ・ノムラ、バーバラ・フォーデル、アナベル・バーナード、バーバラ・シェルラー、カヤ・ボリス、ルートヒルト・エンゲルト

レーザーディスクが消える寸前だったころに、このプロダクションのリハーサル映像LDが発売されました。たぶんドイツでテレビ放送されたものだと思いますが、これがとってもおもしろくて、うれしかったです。あっという間にレーザーディスクが姿を消し、DVD化もされないようです。後にクラシカ・ジャパンで放送されたと思います。
4話とも全部とてもおもしろそうなので、全曲映像が観たいものです。そりゃもちろんこの配役で^^!

メイキング映像:12

2011年1月
1986/87シーズン開幕公演の録音(プライベート)を聴くことができました。
指揮者と配役の一部が新演出初演時と違います。
ヴォータン役はミュンヘンの映像(NHKが収録、私の初「リング」映像でした)の人です。

ワーグナー:ワルキューレ
ベルリン・ドイツ・オペラ1986年10月29日
ゲッツ・フリードリヒ演出
ハインリヒ・ホルライザー指揮

ジークムント:ペーター・ホフマン
ジークリンデ:ザビーネ・ハス
フンディング:マッティ・サルミネン
ヴォータン:ロバート・ヘイル
ブリュンヒルデ:ライラ・アンデルソン
フリッカ:ダイアン・カリー
ワルキューレたち:ガブリエーレ・マリア・ロンゲ、ルーシー・ピーコック、バーバラ・フォーデル、ヨーコ・ノムラ、カヤ・ボリス、アナベラ・バーナード、バルバラ・フォーゲル、バルバラ・シェルラー、ゾフィア・リス

いわゆる膝上としては音質も悪くなく、聴きやすいです。
コメントにアドレスをいただきました。フリーだと少々時間がかかるかもしれませんが、
簡単にDLできると思います。

2012.3.7
1987年にも出演しています。日本公演には来なかったのは残念なことでした。
理由は不明ですが、体調が悪かったのかもしれません。
ワーグナー:ワルキューレ
ベルリン・ドイツ・オペラ1987年4月8日
ゲッツ・フリードリヒ演出
クリストフ・プリック指揮

ジークムント:ペーター・ホフマン
ジークリンデ:カラン・アームストロング
フンディング:マッティ・サルミネン
ヴォータン:ジェイムズ・モリス
ブリュンヒルデ:デボラ・ポラスキ
フリッカ:ハンナ・シュヴァルツ
ワルキューレたち:シャロン・スウィート、ルーシー・ピーコック、バーバラ・フォーゲル、アナベラ・ベルナルド、アニタ・ヘルマン、ヨーコ・ノムラ、バーバラ・シェーラー、カヤ・ボリス

ニュルンベルグのマイスタージンガー




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フィデリオ ベルリン・ドイツ・オペラ1984年 [舞台]

ph97fid84r.jpg [1984年、ベルリン・ドイツ・オペラ リハーサル、カタリーナ・リゲンツァと]
  1984年2月10日に新演出初日を迎えた、ベルリン・ドイツ・オペラでの、ジャン・ピエール・ポネルの印象的な演出、ダニエル・バレンボイム指揮による『フィデリオ』は、きわめて珍しいことに、評論家が全員一致の肯定的な批評をするほどの、最高の大成功! よく見ても最初はだれだかわからなかったほどの濃い化粧のフロレスタン、ペーター・ホフマンは、不可能なことを成し遂げたに等しいほどの上出来、透明感のある表現力に富んだ声で歌いながら、それにもかかわらず、地下牢に一人寂しく、飢えて、死を間近にした人が、横たわっていることを、納得させたと評されます。この『フィデリオ』については、オペラの初日などいつもは言及する価値はないと考えている大衆紙までが、熱狂的に書きたてたのでした。

ベートーベン:フィデリオ
ベルリンドイツオペラ
ゲネプロ1984.2.8
ダニエル・バレンボイム指揮
プライベート録音

レオノーラ:カタリーナ・リゲンツァ
フロレスタン:ペーター・ホフマン
ピツァロ - ギレルモ・サラビア(Bs 1937.08.30-1985.09.19 メキシコ)
ロッコ:ロバート・ロイド(Bs 1940.05.02- イギリス)
マルツェリーネ :マリー・マックローリン(S 1954.11.02-  イギリス(スコットランド)
ヤッキーノ: アレハンドロ・ラミレス(T 1946-  コロンビア)
フェルナンド:ウォルトン・グレンルース(T 1940-  フィンランド)
囚人: バリー・マクダニエル(Br 1930.10.18- アメリカ)
ミオミール・ニコリッチ(Bs)

※ダニエル・バレンボイム:指揮者1942.11.15- [アルゼンチン→イスラエル(1952-)]
※カタリーナ・リゲンツァ:ソプラノ1937.10.18- [スウェーデン(→ドイツ)]
※ジャン・ピエール・ポネル:演出家1932-1988 フランス

 マリア女史はホフマンのフロレスタンをこう評します。
ph97fid84.jpg[1984年、ベルリン・ドイツ・オペラ カタリーナ・リゲンツァと]
 「フロレスタン役(ベートーベン、フィデリオ)で、ホフマンは全く違う存在感を放つ。彼の強烈な人物描写において、内面的な輝きと併せて、その惨めに苦しむ外観が照らし出される。この役で最も成功したもののひとつは1984年4月ベルリンでのゲッツ・フリードリヒ演出による公演である。(この演出は伝記にある2月10日が新演出初日のジャン・ピエール・ポネル演出の公演と同じではないかと思います。4月にも公演があったのか、こちらも記載ミスなのか不明です)

 これについてジェームズ・ヘルメ・ズトクリッフェ は
『ホフマンの高らかに響き渡る、若々しいフロレスタンは、その「神よ、ここの何という暗さか」 'Gott welch Dunkel hier' がアーチ型の暗い穴蔵から聞えてきた瞬間から、観客をびっくり仰天させ、観客の耳をそばだたせ、しっかり耳を傾けようと、居ずまいを正させた』と書いた。

 4月13日の録音テープは強烈な演劇的かつ声楽的な意思を示している。コロと同様、ホフマンはフロレスタンを、受動的な英雄と見ている。しかし、コロと違って、ホフマンの「受動性」は内的な力強さによって生命を吹き込まれている。彼は単に肉体的に衰弱しているだけで、精神的には衰えていないのだ。これはほとんど逆説的には、彼の飢えと狂乱の幻覚症状の裏には、燃え盛る火のような静謐がある。このフロレスタンの意志は終始明確に示される。酷く悲惨な状態にあっても、終始一貫失うことのない自尊心の中に壮大なひらめきを得る力がある。彼の苦しみには主張があり、その苦痛ゆえに目的意識を失うことがない。

 ホフマンはこういう複雑な解釈をいくつかの賢明な技術的工夫を通して伝える。彼は、歌唱においては、銀色のメタリックな輝き、捕らえ難く、卓越した、活気に満ちた、心を強くとらえてはなさない輝きを保ちながら、人間の現実的な身体的衰弱を、対話と一貫性のある柔軟な動作によって、強調する。彼の表現力に富んだヴィブラートは、彼の旋律線に迫力を与え彼の言葉に色彩を与え、際立たせる才能が、ここでは殊更有利に働く。
 そのGott, welch Dunkel hier!(神よ、ここはなんと暗いことか!) は、かろうじて命をつないでいる人間の奥底から絞り出される哀しみの叫びとして始まる。そして、それは信仰心と懐疑心の入り交じった祈りとなって高らかに鳴り響く。ホフマンは、このアリアを、絶望から甘い記憶へ、そして更に、自己の正当性を証明したいという狂わんばかりの希望へ(ins himmlische Reich 天国で)という、明確に区別できる演劇的な各段階を経ていくものとして展開する。彼のレガートは美しく、彼のフレージングは長く持続的で、自信に満ちている。
 友情を感じた「フィデリオ」との対話は、彼が狂乱した戯言ですっかり消耗してしまったことを明確に示し、細かい部分で著しく哀れを催させる。ホフマンのフロレスタンは、ピッツァッロがやってきた気配を感じたとき、(Ist das der Verbot meines Todes? 私の死の印か)一瞬、気持ちの制御がきかなくなる。彼は狂わんばかりになり、弱さを露呈する。そして、ほとんで狂乱状態でレオノーレにくってかかり、彼女は彼を落ち着かせようとする。それから、突如、殺人者が現れたとたん、ホフマンは、ありったけの自制心と力をふりしぼって、落ち着きを取り戻す。
 四重唱が始まるとき、敵に向き直り、誇り高く、告発の言葉 Ein Moerder steht vor mir(殺人者が私の前に立っている) で攻撃する。これこそ、長い間苦しんだ勇者の、何よりもまず自己肯定をせずにただ打ち負かされるつもりはないという、勇敢な最後の抵抗だ。この劇進行が急速な展開をみせるこの場面は、フロレスタンの弱さと英雄的な強さが結晶したかのように鮮やかに示される瞬間だ。この敵との遭遇では、弱さと威厳が同程度の強さで伝わってくる。レオノーレが命がけで助けようとするとき、彼女の名前を口にするが、その発音には、驚きと愛情に満ちたとまどいの色がある。彼女な名前を口にするときの深い思いは、続くLeonore, was hast du fuer mich getan?(レオノーレ、あなたが私のためにここまでしてくれるのか) という言葉が甘い響きを引き受けてしばしたゆたい、観客を穏やかなあふれるような暖かさで包み込む。
 だれもが二人の愛の深さを納得させられる。ホフマンは二重唱 O namenlose Freude を恍惚として歌うが、ひそかな驚き、激情、優しさゆえの弱さ、あふれる歓喜が、かわるがわる浮き上がる。フィナーレのお祝いの合唱で、ホフマンは常に合唱に加わっているが、その様子は彼の個人的な思想を語っているという雰囲気を感じさせられる。彼は内省的に歌い始め、喜びにあふれて斉唱に加わっていく。

 ホフマンが舞台で演じるフロレスタンは強烈でわくわくさせられる。しかし、録音だろうがライヴだろうが、ホフマンの演奏の全体的感触はベートーベンの傑作の核心を貫いている。このオペラの歴史的限界を突き抜けて、現代社会との関連性を主張する。ホフマンにとって、フロレスタンは勇気ある個人、道徳的清廉潔白、個人の自由、政治的自由の代弁者だ。彼がこの役を歌うとき、それは彼の心からの叫びであり、彼自身の信念と一致している。」

 ベートーベン唯一のオペラ「フィデリオ」のフロレスタン役は、キャリアがはじまったリューベック専属時代のルートヴィヒブルク音楽祭が、ロールデビューでした。

「リューベック時代にすでにさまざまな客演をこなしていた。最初はルートヴィヒブルク音楽祭でタミーノを歌った。その1年後突然ルートヴィヒブルクの総監督からフィデリオのフロレスタン役を5日間歌えるかどうかという電話がかかってきた。『すごい。5日間とは』と思った。私は窮地に立たされた気分だった。というのは、その役はもちろん知っていたが、できなかったからだ。私は総監督にそう話したが、監督は『ルートヴィヒブルクで初演の5日間歌えますか。どうですか』と繰返すだけだった。私は『やりたいことはやる』という自分のモットーを心に浮かべて、承諾の返事をした。このオペラ全曲をカセットに収録し、ピアノ用スコアを入手して、リューベックからルートヴィヒブルクまでの長旅でこの役を覚えた。ルートヴィヒブルクに到着したときには、最後の仕上げを残すのみだった。ちなみにおもしろい演出だった。フロレスタンは地下牢ではなくて、巨大な十字架が鎖でくくり付けられたベルリンの壁を表すような有刺鉄線付きの壁の前にいるのだ。短い準備期間にもかかわらず、万事きわめて順調だった。すばらしいフロレスタン・デビューだったと言えると思う。」(伝記 2003年刊)

ゲネプロ(1984.2.8)のプライベート録音から。
やはり音はよくないです。特に台詞は聞こえにくいです。
この曲はショルティ指揮の演奏を一番よく聴いていますが、
こちらは一瞬びっくりしてしまうほどゆっくりとした演奏です。






RIAS Berlinでラジオ放送もあったようで、フィナーレだけがおまけに入っていました。
こちらも全曲あげてほしいものです。


ソネットの音声ファイルがiPhoneやiPadでは表示されなません。
↓下はそのためのリンクです。
アリア
重唱
4重唱
2重唱
フィナーレ

フィナーレRIAS_Berlin


ザルツブルグ復活祭音楽祭2

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テレビ放送:ポートレート1983年 [視聴記録]

1983年にRock around the Ringというタイトルでいわゆるポートレートがテレビ放送されたことは、伝記などで知っていました。クラシカジャパンでけっこう古いポートレート番組が放送されたりもしているので、なんとか放送してほしいと願っていました。リクエストもしましたが、実現しません。もうろくにチェックもしていないのですけど・・・していないと思います・・

例のマリアさんからのプレゼントの中に、かろうじて最悪をまぬがれているような画質ですけど、この映像がありました。

ちょうどリチャード・バートン主演のテレビ映画「ワーグナー」の撮影が行われていたころでしょう。その映像からはじまります。結婚直後だったデボラ・サッソンも頻繁に登場。シェーンロイトでの生活、ヴェネチアでのパルジファル、バーンスタイン、ミック・ジャガーが登場のニューヨークでのパーティ、ロッククラシックの録音風景など。



テレビ映画「ワーグナー」
パルジファル 1983年ヴェネチア
リューベック専属:ハプニング、失敗談など





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初ローゲ@ラインの黄金 [舞台]

ローゲというのは、北欧神話に登場する邪悪な火の神ロキです。北欧神話は、子どものころ、子ども向けの世界文学全集に入っていて、とても惹き付けられたものです。登場人物の中で、このロキとちょっと間抜けな雷神トールが好きでした。ワーグナーの四部作オペラ「ニーベルングの指環」では、四作を貫く存在とも言えますが、実際に登場するのは、第一話の「ラインの黄金」だけです。

 ペーター・ホフマンは、1975年にドルトムント歌劇場にこの役で客演し、大いに注目を集めました。そして、度々、各地で客演しますが、次第に歌わなくなってしまったそうです。この役は、キャラクター・テノール、つまり、性格的な役柄を歌う、どちらかと言えば軽い声のテノールが担当することが多いからでしょう。ホフマンを招聘するとすれば、やはり、ジークムントやパルジファル、ローエングリンということになったと思われます。 

 「ローゲ役は声に関しては特に問題はない。初めにひとつのシーン、いくつかの美しい小さな部分、しかし、それ以外は、再び歌う機会がくるのをただ待っているだけだ。

 けれども、その人物については、おもしろいと言える。その本領通り、電光石火、変わり身のはやい火の神だ。法の埒外で踊り回っている。何物にも頼らない独立した存在だ。

 だからこそ、私はこの役をたびたび好んで歌ってきた。ローゲはすべてを掌握し、巧みに操ることを知っている。策略がうまくいくたびに、彼は喜び、潜在意識下で、私にでもなく、あなたにでもなく、彼にそのように命令したがっている人たちに対してかすかな軽蔑を感じる。

 1975年に、ドルトムントで、パウル・ハーガーと、この役を練り上げた。この仕事はすぐにとても気にいった。難しいことは何もなかった。このプロダクションはめったにないほどよかった。最高の仲間意識があった。ハーガーは人物を距離をおいて見ていた。彼らを知的に解釈していた。そして、それにもかかわらず、歌手に『演技』する余地を大幅に許していた。

 ある批評に、こんなのがあった。『ローゲは、彼らの好きなようにさせながら、彼らを操る術を心得ている』 私もこういう見方をしていた。私はローゲ役に、明確でありながら変幻自在という、非常に具体的な形を与えることができた。

 自分自身納得づくで、ある役柄を形作ることができる場合、私は自分が収入のための職業生活の真っただ中にいるのだということをすっかり忘れている。」

マレク・ヤノフスキ指揮
パウル・ハーガー 演出
ヴォータン:リヒャルト・クロス
フリッカ:リンダ・カレン
フライア:カルメン・レッペル
ローゲ:ペーター・ホフマン
アルベリッヒ :ディーター・ベーレンドルフ
ミーメ :ワルター・イェンケル
フロー :ジャン・プティ
ドンナー:フェルディナンド・ランドヴァン
ファゾルト:アンドレアス・ベッカー
ファーフナー:ギュンター・ヴェーヴェル
エルダ :クリスティーネ・ツィンクラー
ラインの乙女たち :クリスティーネ・ツィンクラー、エーファ・テンパー、ロスヴィタ・スタウベ

Cross, Richard(Bs) 1928- [アメリカ]
Behlendorf, Dieter(Bs) 1930.04.21- [ドイツ]

1975.2.22 プライベート録音@YT:
再生リスト

シュツットガルトへ


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